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風色時間

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冷え込みました

寒くなりました。
病院の中庭に差す朝日がひどく眩しかった今朝。
朝一番の仕事の折に、病棟に向かえば
寝たきりではない患者さん達がお食事をされる食堂のガラス越しに
いつも廊下で出会う車椅子の方が笑顔で手を振ってくれました。
嬉しいものです。
これからきっと寒さは増していくばかり。
冬に近付いた空気の感じはどこかしら凛として厳しくて好きだけれど
過ごしやすい気温の時期が年々短くなっていくようで
それにちょっと困っています。

ひとり時間~静模様~、更新しております。
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懐かしいモノ

急に冷え込んだり、強い雨が降ってきたり
季節の変わり目というのには
些か激しすぎるこの頃に
つい先日まで甘い香りを漂わせてくれていた金木犀の花は
気付けばすっかり消えてしまっている。
どうしてあの小さな橙色の花の香りは
何時だってなんだか懐かしい気持ちを呼び起こさせるのだろう、
なんて考えて暫し。
それから思わずちょっと笑った。
そう、自分が育った家の玄関先には
金木犀が植えられていたんだっけ。
そんなことも忘れてしまっていた自分が可笑しくて。
今はバス停から職場に向かう細い道沿いの塀の向こうに
金木犀がある。
秋が少しずつ進み始めて橙色の花が香る季節は
結構好きだったりするんだ。


 君色時間 更新しています。

職場の駐車場の端にある柘榴の木のてっぺん近くに
実が一つ残っている。
その向こうは何というか、崖、まではいかないけれど
何処までが敷地なのかよくわからない斜面が下りている。
だから
柘榴の赤は妙に空色に映えて
結構鮮やかに見えるんだ。


 ひとり時間 更新しました。 

荒天に

なんだか随分と風が強くて
職場の窓越しに雑木林の葉擦れが聞こえる。
病院の小さな中庭では
まだ群青色の朝顔が咲いたりもしているけれど。


季節変わりのせいもあって
こうして気温の変化の激しい時は
体調を崩される方が多いから
点滴の薬剤の動きが大きくなる。
それぐらいならいいけれど
またひとつ、ベッドが空いて
でも来週には埋まるらしい。
所謂『社会的入院』ばっかりなのにね。
近隣の大きな病院からの、受け入れ先を探す電話は
週に片手では足りない数。
そろそろシステムに問題がありすぎるんだと
気付いてはもらえないのだろうか。

  

傘の向こう

 


無くしてから振り返って
贅沢な時間だったのだと気付いても遅いのだ。


幼い頃、私は日中の殆どを母の姉である叔母の店で過ごしていた。
単線の小さな駅から続く古い商店街の、果物屋の隣に店はあった。
こじんまりとしたその店は、叔母の縫う袋物と履き物、傘を扱っており、
普段は卸問屋で傘職人をしている叔父がその修理も請け負っていた。
商品の並ぶ広くはない売り場の奥で叔母はいつでもミシンを踏んでいた。
その更の磨り硝子の引き戸の向こうには簡易な炊事場が有り、
建物の構造上、日の差さないその場所は昼間でもいつも薄暗くて
まだ幼かった私には少しだけいつでも怖かった。
極度に人見知りであったらしい私は
店に客が来る度に怯えて泣いたことも多かったそうで
商売にとっては甚だ迷惑な存在であっただろうが
私の記憶に微かにあるのは困ったように優しく笑う叔母の暖かな手のひらだ。
何時だったか強請って店の棚から下ろしてもらった、
歩くと踵で音の鳴るサンダルが大好きで、それを踵で鳴らしながら
私は叔母の店や隣の果物屋や、その更に先の花店などで
たくさんの人達に構ってもらっていたように思う。
幼稚園に上がる年に私の家族は隣県に引っ越し、叔母の店で過ごす毎日は終わったが
それでも夏や冬の休みには、決まってそこに行っていた。
大きくなったねとそのたびに頭を撫でてくれる人達と、
昨日もそこにいたように当たり前にいつでも迎えてくれる叔母が大好きだった。
家族の都合の合わない休みの時でも、一人電車で行ったことも何度かある。
自慢できるほどに方向音痴で内弁慶であった私が、唯一出来る遠出がそこだった。
もっとずっと時間が経って、背が伸びることもなくなってからも
私はその店が好きだった。
そう言えば大学に入り、家を出て独り暮らしをしている頃に
ちょっとした壁に突き当たって、ふらりとその商店街のある小さな駅に降りたことがある。
久しぶりだけれど目を瞑ってでも歩けるほどに慣れ親しんだ道をゆっくりと歩き
叔母の店の前まで行った。
耳を澄ませば、相変わらずのミシンの音が奥から微かに聞こえていて
そっと立ち止まってひとつ深呼吸をした。少しだけ涙が出そうになった。
それでも『大丈夫』、なんだかそんなふうに思えてそのまま店を通り過ぎた。
そんな自分がきっと少し照れくさくて、足は裏通りに進み、
季節外れの桜並木をちょっと眺めて、それからまた駅に向かったのだ。
そして
結局そのことは誰にも話さなかった。


叔母は昨年鬼籍に入り、叔父は叔母のいなくなった家で一人暮らしているという。
この年になって洗濯機の使い方を覚えるとは思わなかった、と
四十九日の法要で少し寂しげに叔父は笑った。


基本的に傘は買うものではなかった。
手元にはいつでも叔母の店の傘や、叔父が張ってくれた傘があった。
大好きだった小さな店はもうあの商店街にはないけれど
私の手元には叔父の傘が三本有る。
そのうちの一本の、生地を選ぶ時に
『これがいいんじゃない?』と、見立ててくれた叔母の声を覚えている。
大学の卒業祝いに作ってもらった紺地のそれは
持ち手の部分がいい具合に飴色に変わりつつあって、最近では
あまり激しい雨では水漏れが出始めたので登場の回数は減ったけれど
今日のような小糠雨程度ならば十分に活躍してくれる。


傘があるから、私は雨は嫌いではないのだと
どことなく気分が塞ぐであろう雨続きでも笑って過ごせてきたのだと
鈍色の空を振り仰いで今思っている。
秋に差し掛かったこの街はもう肌寒いけれど、
傘を差して家に帰ったら
少し暖かくして
叔母の好きだったアイスカフェオレを、飲もうか。