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風色時間

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花色に

待合室の小さな花瓶に活けられた花に
懐かしい眼差しを思い出した。
リンドウ。祖母の好んだ花だ。
緑茶を淹れる優しい手を覚えている。
あの頃お茶の美味しさなんて良くは分からなかったものだけれど。
時折こうして失った風景が色鮮やかに蘇る。
普段はなかなかに思い出しもしないのに
唐突に脳裏を過ぎるのだ。

ひとり時間~静模様~君色時間~穏模様~ 更新しました。

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巡る

気付けば通る風はすっかり乾いたものになっている。
晴れた空には未だ蝉の声が響くけれど
どこか過ぎる季節の名残を惜しむかのように
はかなさの片鱗を覗かせる。
店にはもう色とりどりな秋の果物が並び、
少しずつ夜も長くなって来た。
今年の秋はどうして過ごそうか。
出来ることならゆったりと
本や映画や、そんな気に入りの何かに囲まれて
贅沢に時間を過ごしてみたいものだけれど。
おそらくはきっと、そんなことを考えている間に
こうしていつの間にかに夏が通り過ぎてしまったように
追われるままに毎日は過ぎ去っていくのだろう。
まあそれも自分らしいのかも知れないと少し笑った。
今年も季節は確かに巡っていく。

ひとり時間~静模様~更新しました。
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何か

大切なことには、きっとなかなか気づけない。
何気なく過ごしてしまっているうちに
いくつもそんな大切なものを置き忘れてきているのかもしれないと
ふと思うことがあったりするのだ。
抱きしめておかなくてはならないそれを
気にも留めずに置き去りにしてきながら
手放してしまいたい思いは何時までもどこかに居座っている。
何時か人は時間を重ねていくうちに
痛みを忘れることが出来るのだろうか。
それは何時までも色褪せずに
鋭利な刃物のように胸の内に居座るというのに。
忘れるということは成長すると言うことなのかそれとも
ただ麻痺していくと言うことなのか。
拭えない痛みならば、痛みとして感じていくのも強さなら
それを感じないようにしていくのも強さなのだろうか。
愚にも付かないことを考えながら
見上げた空を流れる雲は早い。

  ひとり時間~静模様~更新しました。

アーケード

小旅行の帰りの途中
何となく立ち寄った駅前の商店街。
アーケードの文字に驚いて足を止めた。
それは少し前によく聴いていた曲のタイトル。
ああ、あの場所はここなのだろうと、旋律が鮮やかに蘇った。
店の並びを眺めながら歩調を落として歩く。
初めて訪れる場所であるのに、どこかしら懐かしい雰囲気を
不思議に思いながらもその時間を楽しんだ。
駐車場に戻って、車をスタートさせてから
ああ、子供の頃に過ごした街に少しだけ似ていたのだと
信号待ちで、やっと気付いた。

オリオン通り。
郷愁なんて言葉は、自分には気恥ずかしくもあるけれど。

  ひとり時間~静模様~更新しました。

季節を

なんだか今年の夏は、朝顔をあまり見ない気がする。
たまたま目に入らないだけなのかもしれないけれど
気にして見てみても、どうにも見当たらないように思える。
あまりに暑いせいなのかな、なんてちょっと考えたりもする。
そうかと思えば気の早いコスモスの橙黄色に今朝出会った。
長閑な通勤路沿いには青い栗のイガがぽとりと落ちていて。
季節を感じるような、妙にずれているような。
ともかくまだしばらくは、どうにもやっぱり暑いのだろうな。

君色時間~穏模様~更新しています。

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